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慈愛の泉

幼い時からわたしの胸の奥ではいつもいつもあたたかい何かが湧き出つづけていました。

温泉の源泉みたいな感じかな?もっと緩やかに絶えることなく湧き続けていて、

心の揺れに応じて♨湯量が増えたりもしていました。

わたしのカラダを覆うくらい包んでくれていたんですが、

成長し下積み人生が続くうちに放出量が減っていった気がします。

その期間が落ち着くと、わたしの “泉” は貯水湖の様に静かで

そよ風🍃にさざ波が立つような穏やかさになりました。

枯渇したときもあります、

22年も大親友だった🐈愛猫が旅立ったときで、

予兆があったのに心の準備が出来るはずもなく喪失感無力感が多大過ぎました。

それからちょうど1か月後に🐣息子と初めて出逢うのですが、

実は🐣息子との関係での一番の心配は

わたしのなかが枯渇状態のままだということでした。

この泉から湧き出るなまえも知らないナニカが

確かにわたしを衝き動かしている源だということは確かなことで、

空っぽのイレモノだけのわたしには日常生活すら精一杯です。

『人を育てる』という大それた責任あることは

望んだこともないし満タン状態でもわたしには向いていません。

畏怖しかありませんでした。

息子への愛のカタチ

よく逆のように勘違いされていますが、

現実的には【特別養子縁組】の家庭選び(望まれているご家庭は驚くほど多いです)は

主は🐣息子側に選択権があり、”選ばれる” のは大人側です。

もちろん関係各所の担当官のチェックもありますが、

🐣息子のときは育ててくれた乳児院の担当先生が強く推してくださったようで、

たくさんの中からわたしが “🐣息子のお母さん” として適任と思ってもらえたという大変光栄なことでした。

(ホントはのんびり屋の🐣息子に合いそうなのんびり一家、ということですが😅)

🐣息子側のみなさんのお気持ち、我が家の家族の気持ち、

それらにおされて流されて責任取り続けられるのかわたし大丈夫?

本当に悩み…悩み…悩みました。

でもふと思ったのは、そもそもわたしに人生の選択権があるのか? ということでした。

今まで選択権無く課題が現れ、ただ必死に素手でよじ登ってきたようなわたしです。

どんなに抵抗しようと人生の課題からは逃れられるはずないと分かっていますし、

このためにわたしを専念させるために🐈愛猫は旅立ったわけです。

そして今回の課題は過去のどんな課題とも全く違う彩の✨明るい兆しさえ視えています。

寄りによって世界一ダメなわたしに与えられた課題ということは、

そんなわたしだから🐣息子の役に立てるということなのかも知れないと思いました。

🐣息子サイドの神様だってもちろん彼がシアワセになれるような運命を与えてくれるんですからね。

そう考えると、人生の初っ端から割とハードなSTARTを切った🐣息子には、

わたしのようなおかしな人のおかしなやり方で守っていくことが必要になってくるのかも知れません。

普通のおかあさんには到底なれません(サンプルも無かったので😅)、

「本当のお母さん」じゃない、「本当の親子」じゃないと言われることもあるかも、

呼び方呼ばれ方はなんでもでいいかなと、

ニセモノのお母さんでも、オバサンでも、産んでないからお父さん、でも🙆

とにかく何でもいいけど、

🐣息子が独り立ちできるまで守る役で・

ありのまま伸びることを阻害されないよう保護する役で・

彼だけにしかない魅力を開花させるプロデューサーになれば良いんです。

出逢った時からふたりでこんなことを確認しながら、

ダメ母やでごめんねじぶんのことは自分でしっかりしてね😅と、

隠し事ゼロですべてopenにやってきました。

「育てる」なんておこがましいことは全く出来ません、

それに「普通」「みんな」「正誤」の区別概念がわたしにはありませんので正しい判断も出来ません、

毎回どんなことも相談し🐣息子に選択肢をすべてみてもらってから決めてもらってきました。

それでどんな結果・経過になろうとも、ただフォローし続ける役がわたしだと今でも思っています。

…これは🐤息子とわたしのほんとうに特殊なカタチかも知れませんが、

わたしの中では今のところ一番進化したわたしの愛のカタチです。

これまでの、ただただ泉から湧き出るまま与え続ける1通りのみの愛のカタチから、

うまくいかせるために必要な冷静に “俯瞰” すること、

ふたりでアレコレ知恵を出し合って作戦会議していくこと、

主役🐣の成長促進のため離れて見守り続け忍び耐えること…

その他🐣息子と出逢ったことで、わたしに沢山の新しい経験を通したいろいろな愛が持てました。

そして何よりのご褒美はさまざまな “感情” を味わえていることです。

年配のお稽古の師に「あなたこんなに懸命に育ててるんだから将来必ず面倒見てもらわないと…」

と忠告されたこともありますが、

もう充分にご褒美いただいているので全くそんな気は無いのです。

いつかわたしプロデュース作品の🐤息子がどこかの誰かのお役に立てるようなことがあれば…💗

そんな夢希望👼✨を持たせてもらえているのもわたしにとってのご褒美です。

すべてに感じること

このように🐣息子についてはプロデュースするという仕事があるので

かなり俯瞰して視るようにしていますが、

わたしのまわりに居てくださる方、少しでもご縁がある方に対しては

初期的基本的な愛のカタチを感じています。

ただただあふれ出している、そのままです。

そして、初めて会う方でも強弱はありますが全く境界を感じず浸透していくようで、

まるで姉妹・兄弟のような、もう一人のじぶん自身のような感覚でいます。

若い頃はこれがマイナスに振り切り過ぎてとんでもないこと引き起こしてましたが、

今は少し力加減に慣れたようです。

この感覚、

わたしがあなたで・あなたがわたし、

って文字で書くとヤヴァい💦ですけど、

ほんとに同一化するというか体感できる感じです。

なんて表現してよいか???でしたが、【Oneness ワンネス】というそうです。

「この宇宙世界に存在している全ては1つ」という意味だそうで、

宇宙🌠🌎🚀って急に壮大な世界観になりましたが😅

たしかに確かに💡そうなんです!

平たく言うと…

…小さい子が道路に飛び出しそうになった時、

…カフェで店員さんがグラスを落としそうになった時、

などなど、全くの他人なのに体が勝手に動いてしまうときありませんか?

わたしたちの魂が元は一つだったから、誰かの危険を察知して勝手に動くそうです👀!

ちょっと話それましたが、そんな風に、執着とか粘着質なモノではなくて

ただ原始的に同質だと感じてしまうのがわたしのようで、

例えばわたしのことを好ましく受け容れてもらえていると

離れていてもキモチがシンクロすることがありますし、

反対にわたしのことを苦手に感じて嫌っていたとしても、

そんなあなたのことを姉妹の様にもう一人のわたしのように感じていますので

わたしからは嫌いになれないし勝手にシアワセを願っているということなんです。

距離感も、もし会えなくなっても

いつかのタイミングでお互いに必要なお役立ちになれるかも知れないし、

人生全般が長い旅路の過程で、出会いと別れと再会と別れ…

のようにダンスの相手がくるくる変わっていくような、

そんな感覚の愛でいます。

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