有形無形
カラダ、ココロ、アタマ、そして魂(soul)
“自分” って一体どれが主体なのか?って思った事ありません?
🐣息子が小さい頃によく「キモチとキモチがボクを取り合いっこする😿」
と泣いていたことがあります。
ココロで感じることと、アタマで指示されること、2つの反する意見に悩まされることって、
ちびっこだけじゃなく大人になってもずっとありますよね?
人間生活を送る上で「アタマ=思考優位」で感情を自制することを訓練されてきた私達、
相反する選択肢がじぶんの中で生まれた時は反射的に「アタマ思考」に従うようになっています。
「ココロ=感情」を押し込めて過ごしていることに慣れ当然のようにしていますが、
私のように妙齢になり不調をきたしている方も多いようです💦
カラダからのSOS信号も見過ごすのが当然のようになっている方もいるのでは?
そうなったとき、体調不良は自然に反しているからでは?と気づきました。
形ある脳=アタマよりも、視えない魂=ココロ、を優先してみようと思ったんです。

アバター
多分そんな選択をするのはこの世界ではとっても CRAZY🎉ですが、
それでも実験を続けてきて分かったんです。
やっぱり「ココロ=soul」が主体だってことに🌟
その辺りの説明は長くなるので割愛しますが…
無形の魂が主体ならば、有形のアタマカラダは?
それも答えが分かってきました💡
無形のsoulが望むことって、五感の感触を味わうことなんじゃないかな?
そう、この世界=物質世界を存分に堪能するための器【アバター】がカラダアタマなんです。
昔からカラダの感触を異様に魅力的に感じていた理由がやっと分かりました💡
音楽・言葉・香り・味・ART、ちょっとマニアックですが場の雰囲気・人の雰囲気も、
物体として得たり所有するということなんて比じゃないほど価値を感じていました。
体験・経験に価値がある、と言うことばは、
多くの方には、経験値=データとして今後役立つ、という意味ですよね。
私もそういう意味でも捉えていますが、本来はただその瞬間を堪能する、
それだけの事に価値がある、ということと今は思います。
何かを達成・完成するGOAL地点で得られることが目的では無くて、
経過の毎瞬毎瞬を存分に愉しむことを目的として【アバター】があるんです。

器じゃない上司
器の小さい人が上司・先輩だから…、アノ人にはそぐわない大役を担っているから…、
そんな風にジャッジして不満を漏らすことをよく聞きますが、
思考優位の状態が正にそれと同じに感じます。
この地球LIFEを堪能するためのツールとしての身体、
操作するのは感情=魂のはずが、いつの間にやら逆転しています。
元々、観察し体感するためのアバターが勝手な采配で動いている状態です。
どちらが主導であるべきなのか?さえ、もう思い出せなくなっているようです。
機能が充分でないのに操作の主導を担っているから、手に余って当然ですよね。
だから過去データを元に禁止事項ベースで導き出したルートばかりです。
無理して、努力して、困難に打ち勝って、乗り越えて、耐え忍んで…
その先にゴールがあるとしているルールも、器じゃないアバターが決めたルールじゃないですか?

本当の正解
有形のカラダは、危機回避のため安全を確保する機能が最優先で、
だから必要以上に心配性で、出来る限り現状維持で安全を守ろうとします。
脳科学に詳しい方ならもっとよくご存知ですよね。
何かしら良い思い付きに従おうとすると、即座に引き留めて来るんです。
なんだかんだと理由を並べて、今のままで良いじゃないか、そっちは危ないから、
という感じです。
あなたも、思い当たりません?
「心のままに…」というのが難しいのはこういう理由なのかな?と思います。
一度でも「ココロ=soul」の感覚を味わい思い出せたら、
どの意見がどこからのものなのか、判別できてきます。
アタマからの引き留めはスルーして、ココロの示す方へ向けるんです。
その感覚を味わう近道が、関係ないように見えて奥深い【断捨離】です。
自分の中に、本体とアバターとアバター司令官が居るなんて混乱するので💦最初は大変ですが、
自分を大切に扱うようにしてあげて、LOVE♥myself が身につくと
自然と全部が調和して魂本体に在る機会が増えてわかってくるんです。
そうすると、何が、どれが、自分自身にとっての正解の道なのか、
はっきりわかるようになるんです。
